研究概要

 本研究は、イベリア半島、ブリテン諸島、中央ヨーロッパ、バルト海沿岸地域など、近世ヨーロッパの周縁世界にみられた複合的国家編成の実態を、(1)資源動員にからむ国家組織のあり方、(2)地域社会に保たれた価値・規範との関係においた支配の正統性のあり方、(3)国家活動への地域住民の参画のあり方の三点を比較基準として分析し、近世ヨーロッパ世界の実態に即した国家編成を総合的に提示しようと企画されました。 

 近世ヨーロッパの国家形成をめぐる研究は、特定領域内における正当な暴力行使の独占を要求する組織としてのM.ウェーバーによる国家の定義以来、長らく近代国家への発展過程を論じる議論のなかに位置づけられてきました。初期的な近代国家形成を近世国家に見る歴史社会学の知見は、公共善の促進を建前とした自律的な国家機構の形成過程や特定領域内で対立する社会集団や地縁集団の調停者たる国家機構の形成過程を明らかにしてきました。また、その一方で近世ヨーロッパの実態に即した政治史・社会史研究の進展に裏付けられた歴史学の知見は、国家主権の及ぶ範囲をして領域と捉える近代的な国家観では捉えられない近世に独特な国家編成の存在を明らかにしてきました。 

 そうした近世に独特な国家のあり方が本研究の検討対象となる複合的国家編成です。例えば複数の王国が連合するスペインを事例に提唱されたJ.H.エリオットによる複合王制論や、王国のみに限らず中世以来育まれてきた多様な政体が特定王権のもとに複合するスウェーデンを事例に提唱されたH.グスタフソンによる複合国家論をはじめ、近世ヨーロッパを構成した各々の地域事情に応じて、ブリテン、オーストリア、ハンガリー、ポーランドなどを事例に多様な政治・経済・文化的要素の複合する国家編成の実態が検討されています。 

 一見すると以上のような近年の歴史学研究における複合的国家編成の議論は、多様な利害関心をもった政体が単一の為政者の統治権を承認することでモザイク状に寄り集まった点を指摘するだけのように見えます。しかし本研究に集った研究者は、近世における複合的国家編成の特徴は多様な政体の複合だけでなく、近世ヨーロッパの政治・文化空間に懐胎した様々な国家概念の複合にも見られるという着想を得ています。ここで言う近世に見られた国家概念とは、(1)第一に近世における主権国家間の抗争に対応すべく構築された集約的な人的・物的資源の動員システムを備えた経営的国家概念(2)第二に当該地域の社会集団や地域住民に行動規範の前提を用意した伝統的国家概念(3)第三に為政者と様々な社会集団、地域住民との間の交渉の結果として構築された広域的国家概念です。換言するならば、第一の経営的国家概念は歴史社会学が明らかにしてきたような近代的なState 概念の前提となるものであり、第二の伝統的国家概念は中世以来各地域で育まれてきた国法や法慣習などに裏付けられたRealm 概念の継続であり、第三の広域的国家概念は近世におけるImperium 概念を国王による統治権と理解するならば、社会集団や地域住民が単一のImperium を承認することで媒介された国家概念となります。 

 地域別に論じられてきた国家編成の議論を総合するにせよ、新たに着想された多様な国家概念の複合する姿を検証するにせよ、それらは各地域の政治的・社会的状況に関する実証的な検討を背景に進められる必要があると本研究は考えます。なぜならば、State の前提となる資源動員システムの構築を必要とした国家間の抗争関係、近世に生きた地域住民に行動規範を用意したRealm のような伝統的概念、Imperium の承認を地域住民に促した社会事情は、各々の地域で異なるからです。 

 それゆえ本研究は様々な国家概念を用意した地域的偏差を慎重に確認するために、これまで複合的国家編成の研究が個別に進められてきたイベリア半島、ブリテン諸島、中央ヨーロッパ、バルト海沿岸の研究者を結集し、いかに掲げる共通の比較基準でもって複合的国家編成の検討を共同で進めることで、これまで国内外の歴史学研究において実現されることのなかった近世ヨーロッパの政治・文化的空間の実態に即した国家像を総体的に示そうとしました。

主要研究テーマ

(1)各々の地域における人的・物的資源の動員をめぐって構築された国家機構の比較

 地域別に論じられてきた複合的国家編成の研究を総合しようとする本研究の目的に立ち、本研究では以下に掲げる明らかにすべき比較検討の基準を設け、各々の共同研究者・連携研究者は、それらの比較基準を念頭に置きながら各々の専門とする地域を対象に分析を進めました。最初の比較の基準は、国家機構を経営した統治エリートの視点に立った「上からのベクトル」に基づくもので、この観点から近世に築かれた経営的国家概念とその後の近代的国家経営との関連を明らかにすることを試みました。

(2)各々の地域住民に抱かれた行動規範や価値基準との関係においた政治支配の正統性の比較

 これは、複合的国家編成に包含された様々な社会集団や地域住民の視点に立った「下からのベクトル」に基づく比較検討の基準であり、近世国家の正統性をめぐる議論で垣間見られる中世以来の伝統的な秩序概念と近世における国家編成との関連を明らかにしようとしました。

(3)各々の地域における国家活動への住民の政治参加、あるいは統治エリートと地域住民との 交渉における政治表明の比較

 これは、上記の(1)、(2)に掲げた「上からのベクトル」と「下からのベクトル」が交錯する比較検討の基準であり、従来の複合的国家編成の議論のなかで提示されてきた単一の為政者の統治権のもとに多様な政体がモザイク状に複合する広域的国家編成が具体的にどのような過程をたどって構築されたのかを明らかにしようとしました。